訳者解説

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『世界史ーすべての市民のためにー(World History For Us All)
          HP日本語版へようこそ


◆誰のためのプログラムか?

1、中高の歴史教師
2、中高の生徒(特に大学進学を希望する生徒)
3、歴史を学ぶことに意味を見出せない人たち
4、その他、歴史教育に携わる者(研究者、塾講師、出版社)

◆開発者は誰か?

このプログラムを開発したのは、米国世界史教育の第一人者ロス・ダン氏やサンディエゴ大学及びUCLAの歴史教育学者と、彼らと意志を同じくする現場中等学校の社会科教師たちです。世界中の教師が閲覧・活用できるように、彼らはフリーのHPで同プログラムの全容を公開しています(http://www.rossedunn.com/whfua)。ただそれは全て英語で書かれているため、多忙極める多くの日本の世界史教師にとって、すぐに使えるものにはなっていません。そこで今回、東京学芸大学准教授である渡部竜也を始め、全国の中高教師の有志が集まってその全訳を試み、その成果をHPにそれを掲載することにしました。

◆本プログラムの優秀性
 世界史は、他の教科では比較にならないほどの広い時間的・空間的領域を扱っているため、その全ての領域での教材開発は困難を極めます。そのことが、教師の主体的な授業作りを阻害し、教科書依存・教科書の読み聞かせ中心の授業を生み出す原因ともなっていると言えるでしょう。そこで私たちのグループは、私たちが世界史の教材開発をする際のたたき台とするに値する、秀逸なプログラムを世界中から見つけ出し、紹介することを目指し、数年間探し続けてまいりました。そして発見したのが、この『世界史――すべての市民のために―』プログラムです。
 昨今の我が国の歴史教育の改革は、「歴史総合」「歴史探究」という新科目の登場と併せて、主に歴史学者たちの手によって、特に大阪大学の歴史学者たちの研究グループによって行われています。ただ彼らは、歴史用語の精選や歴史内容の見直しといった、「内容」の側面にばかり注目が向かい、教育学(特に社会科教育学)の成果を十分に吸収し、良い形で還元しているとは言い難いところがあります。同グループの研究成果の一つの集大成である『市民のための世界史』にしても、いずれの章も文章を読ませてその内容を最後の問いで確認する(または教科書の内容とは全く関係のない問いが唐突に掲載され、その解決の手段まったく示されていない)、といった単調な展開となっており、これでは多くの世界史教師の授業改善は望めないのではないでしょうか。
 私たちから見て大阪大学の歴史学者の研究グループは、歴史学の最新の成果を世界史教育に取り込むことに関心があることは(またそうした内容が、従来の内容に比べて今日の世界の理解に貢献するところが大きいことは)うかがえるのですが、全ての市民がどうしてそうした研究成果を共有せねばならないのかといった歴史を学ぶ目的をめぐる議論、そしてその目的から導き出されるカリキュラムや教授方法の議論が、かなり曖昧なまま進められているように感じます。
 さらには、そもそも『市民のための世界史』の構成や内容は、歴史学の最新の研究成果すら十分に伝えられているのか、という疑問すら私たちは感じています。例えば大阪大学のグループは、世界を文化圏等で見るのではなく、グローバル、ナショナル、ローカルといった重層性で見る視点を持たせることを主張されています。しかし『市民のための世界史』の構成や内容を見る限り、そのことがどうこの著書の構造や内容に反映されているのかを、はっきりと確認することができません。
 その点、私どもの『世界史―全ての市民ために―』は、今日社会の理解のための世界史という明確な目標に基づいて、内容だけでなく、方法も厳選されている秀逸なプログラムが多く含まれています。カリキュラムには、「人間と環境」「人間と人間」「人間と思想」に関する3つの本質的な問いの枠食いが設定され、各単元にはその3つの枠組みから導き出される具体的な本質的問いが複数設定され、現代と過去を結び付けています。さらには時間・空間ともに長期スパン・広領域スケールで歴史を見る「パノラマ単元(グローバル)」、時間・空間ともに100年単位・中範囲スケールで見る「ランドスケープ単元(トランス・ナショナルまたはナショナル)」、時間・空間ともに30年~50年単位、局地的スケールで見る「クローズアップ単元(ローカル)」から重層的に構想されていることが分かり、環境などのテーマは主にパノラマ単元、技術革新などのテーマは主にランドスケール単元、そして歴史上の人物(民衆の場合もある)の人生だとか文化の変化については主にクローズアップ単元が担当しています(本カリキュラムの構造については、以下の二井論文を参考のこと)。『市民のための世界史』と比較して頂ければわかると思いますが、教授の目的やそのカリキュラム構造の明確さは、雲泥の差と言えます。
 この差が生じた大きな原因の一つには、合衆国の『世界史―全ての市民のために―』は、研究者と教師が協力し、いやむしろ教師が主体になって作成したプログラムであることに対して、日本の『市民のための世界史』は、専ら歴史学者の手によって、教育畑の人々がほとんど介在させないままに作成してしまったことがあるでしょう。


・二井正浩「グローバルヒストリー教育におけるナショナルアイデンティティの 扱いに関する質的研究 ── World History for Us All における単元 New Identities: Nationalism and Religion 1850-1914CE の実践を通して ──」『社会科教育研究』第120号、2013年。
・二井正浩「グローバルヒストリーとしてのWorld History For Us Allのカリキュラム構成――トランスナショナルでトランスカルチュラルな歴史学習への可能性――」『社会系教科教育学研究』第24号、2012年。

◆どうして私たちがこれを発信するのか
―世界史教育改革における教科教育学の役割ー


世界史教育の在り方を決めるのは、世界中の人類の歴史それ自体について詳しい者たちでなくてはならない――おそらく、これが常識的な世間の感覚なのではないかと思われます。いや、行政も同じ感覚のようで、昨今の歴史教育改革をめぐる学術会議などの構成員も圧倒的に歴史学者が中心になっており、社会科教育学からの参加者は申し訳程度です。
 確かに私たちの歴史についての専門知識は歴史学者に比べて劣ることは間違いがないでしょうし、そのために独自の世界史教育のカリキュラム内容の全体像を描くことは難しいでしょう。しかし、私たち社会科教育学を研究する者は、歴史学者が持つ専門性とはまた違った専門知を有しています。それは、諸外国のカリキュラムの情報や知識、そして「民主主義社会の形成者」を育成するための歴史カリキュラムや授業の在り方について人々がこれまで展開してきた議論についての情報や知識です。
 私たちは自らの力で体系的な世界史のカリキュラム内容を生み出せないかもしれませんが、世界中の世界史カリキュラムの情報については知っています。だから、日本の歴史学者らの生み出す世界史カリキュラムや、歴史教育の在り方をめぐる議論と研究が、諸外国のそれらと比べていろいろ不十分であることを知っています。
 ここに私たちは、より優れた世界史プログラム『世界史―私たち全てのために―』を紹介することで、本当にこのまま世界史の議論を歴史学者だけに任せて大丈夫なのかと世に問いかけたいと思います。歴史学者は歴史的知識が豊富です。しかし世界史のカリキュラムや授業の知識が豊富なわけではありません。世界史教育、いや歴史教育をめぐる議論だってそこまで詳しいわけではありません。
 「人のフンドシ(この場合はアメリカ合衆国の世界史カリキュラム)で相撲をとるのが教育学者なのか」とおっしゃられる方もいるでしょう。そうです。「人のフンドシで相撲」をとることが出来ることが、社会科教育学者の専門性の一つなのです。これが、私たち社会科教育学者の歴史教育改革に果たせる(社会科教育学者でしか果たせない)役割・貢献の一つの姿なのです。(教師の教材研究や授業作りにおける教科教育学者の果たす役割についての私の考え方については、以下の原稿をご参照下さい)

・渡部竜也「授業づくりにおける教師のゲートキーピングの重要性」草原和博、渡部竜也編著『“国境・国土・領土”教育の論点争点――過去に学び、世界に学び、未来を拓く社会科授業の新提案』明治図書、2014年。

◆今後の予定
 私たちが『世界史―全ての市民のために―』を翻訳発表した「ねらい」は、授業開発や教材研究に頭を悩ませている教師に貢献することだけでなく、これで歴史教育は本当に良いのかを広く議論するためのきっかけ、叩き台としたいと考えていることもあります。
 『世界史―全ての市民のために―』を活用した教師に広く話をきき、その意義や課題について検討するためのフォーラムを将来的に開催する予定です。

                                  2018511
                                     渡 部 竜 也